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『拒絶する世界』 ~【第1回】短編小説の集い(B:写真)


【第1回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

 

 

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【拒絶する世界】

 

 

 

 

 

プロローグまたはエピローグ 

 

 

昨夜から降り始めた雨は相変わらず眼下の街を濡らし続けている。 

雲は鈍色のままその身を横たえて動かない。

もともと濁った色をした街がさらに暗くどんよりして見えた。

 

僕は隣で静かに眠る彼女の黒髪をなで、そのままその手を首元に伸ばした。

ここで彼女を殺せばこの瞬間は永遠へと変わる。そう思い掴んだ手に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか遠くへ行こう、と思った。

職場の人間関係に嫌気が差し辞表を提出した僕はとにかくここではない遠い場所へと逃げたかったのだ。

坂の上から街を見下ろすのが好きだという理由だけで行き先は尾道にして、宿も決めずに夜行バスに飛び乗るような形で東京を後にした。

 

尾道の空は重い雲がたれこめていて、街の雰囲気も暗く見えた。入る者を拒むような空気がそこにはあり、無言の圧力をかけられている気がした。

僕は持ってきたカメラをバッグから取り出し、暗い空を写真におさめた。

 

昼過ぎまで市内を見て回った後石畳の坂道を上り、街を見渡せる眺めの良い場所へと向かう。途中、石に描かれた招き猫が道端や民家の屋根や塀の上など至るところに置かれているのだが、暗い雰囲気のせいか招き猫までも僕の事を拒絶しているように感じる。

 

歩きはじめて何時間経っただろう、街を見渡せる丘にたどり着いた。

ベンチに座り、何をするでもなくボーッとしている内に空がだんだん暗くなっている事に気付いた。一体どれくらいその場所にいたのだろう。いつの間にか日が暮れ始めていたのだ。

 坂を下り駅前に出ると適当な居酒屋を見つけて入る。

カウンターに座りビールと適当なツマミを注文して店のテレビを眺める。

 

 

3杯目のビールを注文した後、素敵なカメラね、とテーブルに置いた僕のカメラを見て隣に座っていた彼女が話しかけてきた。

ありがとう、僕も気に入っていると答えると、どういう写真を撮っているの?と言うので昼に撮影したデータを見せる。街や、空や、招き猫の写真。

あなたの撮る写真はどれもとても素敵ね、でもなんだか暗い写真ばかりみたい。

この街に拒まれている気がするからかもしれない。そう答えた。

彼女はそれについて何か考えている様子だったが、特になにも言わなかった。

彼女の方は友達の結婚式で他県からこの地へ来たので、ついでに何日か観光がてら旅をしているのだと教えてくれた。

酔いも手伝ってか、それから彼女とは色んな話をして、初めて会ったとは思えないくらい打ち解け合っていた。

彼女がフランクな性格をしていたからかもしれない。僕らはとてもフィーリングが合った。

ふと会話が途切れた時に彼女が突然、不思議ね、と言ってきた。

僕は理由も聞かずにそうだね、と返した。

お互い初めて来た地で初めて会った人間とこんな風に話をしている事を不思議に思ったからだ。彼女も同じ気持ちだったからそう言ったのだと思ったのだ。

すると彼女は少し驚いた顔をした後、軽くほほえんだ。

 

 残念だけどそろそろ行かなくちゃ、今日の宿を取っていないんだ。そう言うと彼女はねえ、私の泊まっているホテルに来てもいいわよ、と言った。

 

 

 

 

 

 

彼女がシャワーを浴びている間、コンビニで買ったウイスキーをストレートで飲みながら持ってきた本を読んだ。

外は雨が降り出したのか、地面に落ちる規則的な雨音が聞こえる。

彼女が出てきたので僕は本を閉じ、まるでそれが前から決められていた事柄であるかのように二人でベッドに入って横になった。

 

静かだった。さっきまで僕を拒絶していた街も今は眠りについているようだ。

雨の音と、時折遠くで鳥の鳴く声が聞こえるだけであとはほとんどの音が街から消えてしまっていた。

壁に向かって横たわっていた彼女が、ねえ起きてる?と聞いてきたので起きてると答えると、わたしのことを抱きしめてほしい。そう言った。僕は言われたとおりに後ろから彼女の事を抱きしめた。

その小さな身体を包み込んでしまうと、またこの空間に静寂が戻った。なんだか部屋の密度が少し増した気がした。

 キスをしても良いかとたずねると彼女はいいわ、と言ってこちらに寝返りをうった。

しばらく彼女の瞳を見つめ、唇を重ねた。

そこからは言葉はいらなかった。敏感な部分に舌を這わせ、そのたびに彼女の口から吐息が漏れる。そんなことを繰り返しているうちに彼女自身が熟れた果実のようになっていたので、僕は静かに、ゆっくりとその中へ入っていった。

さっきまでの静けさが嘘のように肌の触れ合う音や口から漏れる声、ベッドの軋む音などが入り混じって響き、どんどん部屋の密度を濃いものにしていった。

そうして僕たちは朝までお互いの身体を求め合った。

 

いつまでもこの時間が続けば良い。そう言うと待っている人がいるの、と彼女は言った。わたしには待っている人がいる。そしてわたしは明日そこに帰る。そうしていつもの日常にもどる。

そう言う彼女の瞳の中には深い闇が広がっているだけで、そこにあるはずの感情がまるで失われていた。それは僕に深い海の底を思わせた。

こんなに長い時間見つめられたのは初めてよ、と彼女が言った。

僕も誰かの瞳をこんなに見つめ続けたのは初めてだった。それほど彼女の瞳に広がる闇は、吸い込まれそうになるくらい魅惑的なものだった。

僕がどれだけ見つめ続けてもついに感情の波が揺れる事は無かった。

 

 

 

 

 

いつの間にか眠っていたらしい。

窓の外が暗くなっていた。彼女は横で静かな寝息を立てている。

あいかわらず雨は眼下の街を濡らし続けている。 

彼女の綺麗な黒髪をなでた。

明日になれば濃密だったこの空間は嘘のように失われ、元には戻らない。

それならばこの瞬間が永遠になればいい。

そう思い僕はそのまま彼女の首に手を伸ばし、その手に力を込めようとした。けれど僕には出来なった。すると彼女は瞳を閉じたまま首の上に置かれた僕の手に自分の手を重ね、僕の手とともに自分の首を絞めた。

 彼女はそっと眼を開けて僕を見つめ、手の力を緩めると、誰もあなたの事を拒絶なんかしていないわ。そう言った。

誰もあなたを拒絶していない。空も、街も、招き猫だって。

つねに世界はあなたに向かって開かれている。

世界があなたを拒絶しているんじゃない。あなたがこの世界を拒絶しているのよ。

そう言ってやさしく僕の頬を撫で、また瞳を閉じた。

窓の外を見ると、あれだけ降り続いていた雨はいつの間にかもう止んでいた。

 

 

 

 

4

 

チェックアウトを済ませ、駅までの道を二人で歩いた。

何か喋らなければならない事があるような気がしたが、そんな言葉は無意味に思えた。

駅に着き、こちらを向いた彼女は無表情のまましばらく僕の瞳を見つめると、さよなら、とそれだけ言って電車に乗って静かに去っていった。

 

僕は彼女が乗ったその電車が見えなくなるまで見送ると、バッグからデジタルカメラを取り出し、この旅で撮ったすべての写真を消去した。

 

さようなら。

 

そうつぶやいて空を仰ぐと、相変わらず濁った雲の隙間から、ほんの少しだけ光が差して見えた気がした。